こんにちは。関口美奈子です。
「恋愛って、コスパが悪いんですよね」。
最近、若い方から本当によく聞く言葉です。お金がかかる、時間が取られる、傷つくかもしれない——だから割に合わない、と。
でも、私は思うんです。恋愛を「割に合わない」と避ける人は、計算高いのではありません。むしろ、そう計算させられている。あらゆるものを費用対効果で測らせる、この時代の空気のなかで。私はこれを「恋愛のコスパ化」と呼んでいます。
「恋愛はコスパが悪い」という気分の広がり
いま、独身の若い人の多くが、交際相手を持っていません。国の調査(国立社会保障・人口問題研究所「出生動向基本調査」)でも、未婚者のうち交際相手がいない人の割合は、高い水準が続いています。
そして、その理由としてよく語られるのが「恋愛はコスパ・タイパが悪い」という感覚です。デート代、身だしなみ、駆け引きに費やす時間と神経。それに見合うリターンがあるのか——そんなふうに、恋愛が“投資”の言葉で語られるようになりました。これは、ほんの少し前まで、あまり見られなかった現象なんですね。
なぜ、恋愛まで「費用対効果」で測るのか
では、なぜ恋愛がコスパで語られるようになったのでしょう。
それは、恋愛だけの話ではないからです。
映画は倍速で見て、結論だけを先に知る。動画は最初の数秒で「価値があるか」を判断する。買い物も、勉強も、休日の過ごし方も、すべて「タイパがいいか」で選ぶ。
私たちはいつのまにか、人生のあらゆる時間を“費用対効果”で評価する癖を、深く身につけてしまいました。その物差しを、恋愛にも当てはめてしまう。これが「恋愛のコスパ化」です。本来、損得で測るはずのなかった領域にまで、市場の計算が入り込んできたんですね。
でも、恋愛は「コスパ」では測れない
ここに、大きな落とし穴があります。
恋愛の本当の価値は、コスパという物差しでは、そもそも測れないところにあるんです。
遠回りした時間。うまく言えずに悩んだ夜。相手のために費やした、一見すると“無駄”なあれこれ。実は、その無駄の中にこそ、人を思う喜びや、自分が深まっていく実感が宿っています。
以前のコラムで、私は摩擦や手間こそが絆を育てるとお話ししました。恋愛も同じです。効率を求めて無駄をすべて削ぎ落とすと、削れるのは負担だけではありません。得られるはずだったいちばん大切なものまで、一緒に消えてしまう。コスパの計算式に入れた瞬間、恋愛のリターンは見えなくなるよう、できているんですね。
あなたがケチなのではなく、余裕を奪われている
とはいえ、これも個人を責める話ではありません。
むしろ私は、若い人たちに同情さえしているんです。
考えてみてください。人がコスパにこだわるのは、心とお財布に余裕がないときです。可処分所得は増えず、将来は不安、時間にも追われている。そんな状況に置かれれば、誰だって「失敗できない」「無駄は許されない」と身構えます。
つまり、恋愛のコスパ化は、若者の心が貧しくなったからではなく、若者から金銭的・時間的・精神的な余裕を奪ってきた社会が生んだものなんです。余裕のない人に「もっと恋愛を楽しめ」と言うのは酷というもの。あなたがケチで臆病なのではなく、ゆとりを奪われている。ここを取り違えてはいけないと思います。
物差しを、いったん置いてみる
では、どうすればいいのでしょう。私は、二つの方向をお勧めします。
ひとつは、一人ひとりの小さな勇気です。
すべてを損得で測る物差しを、恋愛のときだけ、いったんそっと脇に置いてみる。見返りを計算せずに、目の前の人へ先に与えてみる。コスパを度外視して与えられる人こそ、実はいちばん心に余裕のある「持てる人」です。そして不思議なことに、計算をやめた人のところにこそ、いい縁は巡ってくるものなんですよね。
もうひとつは、社会の側の責任です。若い世代が「失敗してもいい」と思える経済の土台、時間のゆとり、安心して人とつながれる環境。これを取り戻すことは、まぎれもなく政治と社会の仕事です。
恋愛は、コスパの悪い消費ではありません。人生をいちばん豊かにする、かけがえのない時間です。その当たり前を、もう一度みんなで思い出していけたら、と思うんですよね。
出典:国立社会保障・人口問題研究所「出生動向基本調査」(未婚者の交際状況)、内閣府の少子化・若者の意識に関する各種調査。具体的な数値を断定する記述は避け、傾向として記述しています。