なぜ男は弱さを
見せられないのか

関口美奈子

こんにちは。関口美奈子です。
「男は泣くな」「弱音を吐くな」「黙って背中で語れ」。多くの男性が、こうした言葉を浴びて育ってきました。
でも、いまの時代に求められているのは、むしろ正反対の力です。家事や育児を担い、人の気持ちに寄り添える——そんな「ケアできる男」。なのに、なぜ多くの男性は、いまだに弱さを見せられないのでしょう。それは性格のせいではありません。古い「強さ」の定義に縛られているからです。私はいま、その「強さの再定義」が必要だと考えています。

「強い男」は、つくられたイメージにすぎない

まず確認したいのは、「強い男」という像が、決して永遠の真理ではない、ということです。

弱音を吐かず、感情を表に出さず、一人で重荷を背負う。この男らしさは、戦後の「男は外で稼ぐ」という社会のかたちと、ぴったり結びついて広まったものでした。会社という戦場で戦い抜くために、男は強くあらねばならなかったんですね。
つまり「強い男」は、特定の時代が必要としてつくり出したイメージであって、男性の本性ではありません。けれど、その台本があまりに深く刷り込まれたために、いまも多くの男性の心を縛り続けているんです。

時代は「ケアできる男」を求めはじめた

一方で、社会のほうは大きく変わりました。
共働きが当たり前になり、男性にも家事や育児が当然のように求められる時代です。

パートナーの話に耳を傾け、子どもの気持ちに寄り添い、親の介護に手を貸す。こうした「ケアする力」こそ、いま家庭でも職場でも、本当に必要とされている力です。
ところが、男性が育ってくる過程で教わったのは、逆の台本でした。「強くあれ、弱さを見せるな」と。求められる力と、刷り込まれた台本が、真っ向から食い違っている。多くの男性が感じる生きづらさの正体は、このねじれにあるんですね。以前お話しした「役割の空白」が、男性の内側でも起きている、ということです。

弱さを見せられる人こそ、本当に強い

ここで、強さの中身を入れ替えてみたいんです。
本当の強さとは、弱さを隠しきることではありません。むしろ、弱さを認め、人に開き、頼れること。それこそが、これからの時代の強さだと私は思います。

考えてみてください。「助けて」と言えるのは、自分の弱さと向き合う勇気がある人だけです。人の痛みに寄り添えるのは、自分の痛みを知っている人だけです。
弱さを見せられる人は、決して弱い人ではありません。自分にも相手にも誠実で、心に余裕のある——私がいつもお話しする「持てる人」です。強がって心を閉ざすより、弱さごと差し出せる人のほうが、人を惹きつけ、深い関係を結べる。これが「強さの再定義」です。

台本を書き換えるのは、個人と社会の両方

では、どうすればこのねじれを解いていけるのでしょう。私は、二つの方向から考えています。

ひとつは、男性一人ひとりの、小さな一歩です。
つらいときに「つらい」と言ってみる。家族の前で弱音をこぼしてみる。完璧な大黒柱を演じるのをやめ、ケアする側にも回ってみる。最初は勇気がいりますが、その一歩が、自分を縛ってきた古い台本を、少しずつほどいていきます。
もうひとつは、社会の側の責任です。
男性が育児や介護に当たり前に関われる制度や職場の空気、弱さを口にできる相談の場。男性の育児休業がまだ「取りにくい」と言われる現実を変えていくことは、まぎれもなく社会の仕事です。
「強くあれ」という呪いから、男性を解き放つこと。それは男性のためだけでなく、その隣にいる女性や子どもの幸せにも、まっすぐつながっています。強さの意味を、私たちみんなで書き換えていきたいですよね。

出典:厚生労働省「雇用均等基本調査」(男性の育児休業取得率の動向)、性別役割や男性性に関する社会学・心理学の知見を参照。具体的な数値を断定する記述は避け、傾向として記述しています。

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