なぜ熟年離婚は
増えたのか

関口美奈子

こんにちは。関口美奈子です。
長年連れ添った夫婦が、子育てを終え、定年を迎えたころに別れを選ぶ——いわゆる熟年離婚が、めずらしくなくなりました。
これを「年をとって愛が冷めたから」と語るのは、少し違うと私は思います。本当の理由は、もっと根本的なところにあります。私たちは、添い遂げるには、長く生きすぎるようになった。私はこれを「寿命という試練」と呼んでいます。

「死が二人を分かつまで」は、もともと短かった

結婚の誓いに、こんな言葉があります。「死が二人を分かつまで」。
とても美しい言葉ですが、ここで思い出したいことがあります。この誓いが生まれた時代、人の寿命は、いまよりずっと短かったのです。

かつて、結婚してから死別までは、せいぜい二、三十年ほど。子を産み、育て上げる、その営みと寿命が、ほぼ重なっていました。
ところが現代はどうでしょう。日本人の平均寿命は男女とも80歳を大きく超えました(厚生労働省の生命表より)。早くに結婚すれば、夫婦の時間は五十年、六十年に及びます。「死が二人を分かつまで」が意味する長さが、昔とはまるで変わってしまったんですね。

子育てが終わってからの、長い長い二人

ここに、見落とされがちな大問題があります。
多くの夫婦にとって、結婚生活の前半は「子育て」という共通の大仕事で結ばれています。けれど、その仕事には終わりが来ます。

子が巣立ったあと、夫婦には何十年もの「二人だけの時間」が残されます。これは、人類がほとんど経験したことのない、まったく新しい局面です。
子育てという共通の役割が終わったとき、二人のあいだに何が残っているのか。会話はあるか、一緒にいて心地よいか——その問いが、人生の後半でいきなり突きつけられる。熟年離婚は、愛が壊れたというより、役割が終わったあとの長い時間に、関係が耐えられなくなった姿なんです。以前お話しした「役割の空白」が、夫婦のあいだにも訪れる、ということですね。

これは「わがまま」ではなく、新しい時代の宿題

ですから、熟年離婚を選ぶ人を、身勝手だと責めることはできません。
とりわけ、長年がまんを重ねてきた末の決断であれば、なおさらです。

考えてみれば、これは誰のせいでもありません。医療が進み、社会が豊かになり、私たちは長生きできるようになりました。それ自体は、まぎれもない恵みです。
ただ、その恵みは、「一人の相手と半世紀以上をともにする」という、人類が経験したことのない宿題も一緒に連れてきた。熟年離婚の増加は、個人の愛情不足ではなく、長寿という新しい条件に、結婚のかたちがまだ追いついていない——その時代のひずみの表れなんです。

長い後半生を、もう一度デザインする

では、どうすればいいのでしょう。私は、二つの方向から考えています。

ひとつは、夫婦それぞれの工夫です。
子育てという役割が終わる前から、「二人の関係そのもの」を少しずつ育て直しておくこと。共通の楽しみを持つ、相手を一人の人間として尊重し直す、感謝を言葉にする。役割で結ばれた関係を、人生の後半は「人として惹かれ合う関係」へと、ゆっくり架け替えていくんですね。先に与え、相手の変化も面白がれる「持てる人」どうしの関係は、長い後半生でこそ輝きます。
もうひとつは、社会の側の支えです。人生100年時代にふさわしい、夫婦関係の学びの場や相談の窓口、そして万一それぞれの道を選んだときにも、どちらもが安心して生きられる経済・社会のしくみ。長い後半生を支える設計は、これからの社会の大切なテーマです。
長く生きられること自体は、幸福です。その長い時間を、誰とどう過ごすか。それを若いうちから考えておくことが、長寿という試練を、長寿という贈り物に変えていくのだと思います。

出典:厚生労働省「簡易生命表」(平均寿命)、「人口動態統計」(離婚件数・同居期間別の動向)。具体的な数値を断定する記述は避け、傾向として記述しています。

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