結婚式はなぜ
簡素になったのか

着物姿の関口美奈子

こんにちは。関口美奈子です。
「結婚式は、ふたりだけで」「親しい人と少人数で」。あるいは、式そのものをしない“ナシ婚”も、いまや当たり前の選択肢になりました。
これを「お金がかかるから節約しているだけ」と見るのは、少し浅いと私は思います。結婚式が縮んだ背景には、もっと大きな変化があります。結婚が、“社会への宣言”ではなくなったのです。私はこれを「儀式の私事化」と呼んでいます。

結婚式は、ふたりだけのものではなかった

少し昔を思い出してみましょう。
かつての結婚式は、新郎新婦のためだけのものではありませんでした。会社の上司、近所の人、親戚一同——たくさんの人を招いて、盛大に行うのが普通でしたね。

なぜ、それほど多くの人を呼んだのでしょう。それは、結婚式が「私たちは夫婦になりました」と社会に向かって告げる、公的な宣言の場だったからです。二人の結びつきを、共同体みんなが見届け、承認し、これからの二人を支えると約束する。結婚式は、個人の祝いごとであると同時に、社会的な儀式でもあったんですね。

結婚が「私たちだけのこと」になった

ところが、いまはどうでしょう。
結婚は、だんだんと「二人だけの、私的な選択」になってきました。

これまでのコラムでお話ししてきたように、かつて家や地域が深く関わっていた結婚は、いまや個人の自由へと委ねられました。誰と結ばれるかは、二人で決めること。ならば、それを大勢に披露する必要も、薄れていきます。
上司や近所の人に立ち会ってもらう意味が小さくなり、招く相手は本当に親しい人だけに。やがて、式そのものを省く選択も自然になりました。これが「儀式の私事化」です。結婚式が縮んだのは、けちになったからではなく、結婚という出来事が、社会に告げるものから、二人の胸の内に収めるものへと変わったから。式の規模は、結婚と社会の距離を映す鏡なんですね。

これは「絆が軽くなった」のではない

誤解しないでいただきたいのは、私はこれを嘆いているのではない、ということです。

派手な式をしないことと、二人の愛情が軽いことは、まったく別の話です。むしろ、見栄や世間体のための式から解放され、本当に大切な人とだけ、心のこもった時間を過ごす——そんな選択は、とても誠実で豊かなものだと思います。
儀式が簡素になったからといって、結婚の重みが減ったわけではありません。形を自由に選べるようになったのは、まぎれもない進歩です。責められるべきことなど、何もないんですね。

それでも、「見届けてもらう」ことには力がある

ただ、ひとつだけ、心に留めておきたいことがあります。
儀式には、私たちが思う以上のがある、ということです。

大切な人たちの前で誓いを立てる。その姿を、誰かに見届けてもらう。この経験は、二人の覚悟を確かなものにし、いざというとき「あの人たちが見守ってくれている」という支えにもなります。人は、自分たちだけで完結するより、誰かに祝福されることで、関係をより強くできる生きものなんですね。
結婚を私的なものにする自由は、大切に守りたい。そのうえで、縁を誰かに見届けてもらう機会まで手放してしまうのは、少しもったいない。形は自由でいい。けれど「祝福し、祝福される」つながりの温かさは、これからも大事にしたいと思うんです。

自分たちらしい「宣言」を、デザインする

では、どうすればいいのでしょう。私からの提案は、シンプルです。

大きな式をするかしないかに、正解はありません。大切なのは、規模ではなく、「自分たちの縁を、誰かと分かち合う」瞬間を、何かの形で持つこと。
たとえ二人だけでも、写真を撮って親に届ける。親しい友人と小さな食事会を開く。SNSではなく、face to faceで「結婚しました」と伝える。お金をかけなくても、自分たちらしい“宣言”はいくらでもデザインできます。先に喜びを差し出し、人の祝福を素直に受け取れる「持てる人」のふるまいは、こんな場面でこそ生きてきます。
そして社会の側も、結婚というかたちにこだわらず、人と人の結びつきを祝い、支えていく寛さを持ちたいですね。儀式は小さくなっても、縁を喜び合う気持ちまで、小さくする必要はないのですから。

出典:結婚式・婚礼の実施形態に関する各種調査(ブライダル関連の意識調査など)、家族社会学における儀礼と共同体の知見を参照。具体的な数値を断定する記述は避け、傾向として記述しています。

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