こんにちは。関口美奈子です。
戦国の世を駆けた武将たち——信長も、信玄も、家康も。彼らには、ある共通点があります。
そのほとんどが、「好きな人」と結ばれてはいないということです。当時、結婚は恋ではありませんでした。家と国の命運を賭けた、最大の戦略だったのです。私はこの時代の婚姻のあり方を「婚姻の国力化」と呼んでいます。そして実は、ここに現代の少子化を解くヒントが隠れているんですね。
戦国の結婚は、最強の「外交」だった
戦国大名にとって、娘や妹との縁組みは、軍隊と同じくらい重い一手でした。
織田信長は、妹のお市を浅井長政に嫁がせて同盟を結びました。武田・北条・今川は、互いに子女を嫁がせ合うことで三国同盟を支えました。
一組の結婚が、国境の平和を生み、あるいは裏切りによって戦を呼ぶ。婚姻は、家と領国の存続そのものを左右する公的な営みだったんですね。「誰と結ばれるか」は、本人の気持ちではなく、家と社会全体の問題でした。
かつて、結婚は「社会の仕事」だった
ここで大事なのは、武将に限った話ではない、ということです。
農村でも商家でも、結婚は家と家、村と村をつなぐ縁組みでした。誰と誰を結ぶかは、親や仲人、共同体が深く関わって決めるもの。
つまり、長いあいだ日本では、結婚は「個人の自由」ではなく、家と社会が責任を持って支える共同事業だったんです。子を産み、家を継ぎ、次の世代へ橋を架ける——それは社会全体の存続にかかわる、公の仕事でした。結婚と出産は、社会の真ん中にしっかりと置かれていたんですね。
そして結婚は、社会から「個人」へ手放された
時代は移り、私たちは大切なものを手に入れました。誰を愛し、誰と結ばれるかを、自分で決める自由です。これは人類の、間違いなく尊い進歩です。
けれど、その自由と引き換えに、社会はそっと荷を下ろしました。
かつて家や共同体が担っていた「縁を結ぶ役割」は、いつしか丸ごと個人へと預け替えられたのです。
結婚するもしないも、相手を見つけるのも、すべてあなた次第。一見、自由で公平です。でもそれは、社会の存続にかかわる営みを、まるごと個人の自己責任にしたということでもあるんですね。「婚姻の国力化」の時代とは正反対の、いわば「婚姻の私事化」が起きたわけです。
少子化は、あなたの努力不足ではない
ここまで来ると、見え方が変わってきませんか。
「結婚しない若者が増えた」「子どもを産まなくなった」。それを個人の心がけの問題として語るのは、あまりにも酷だと私は思います。
かつては家も村も社会も総出で支えていた営みを、いまは一人ひとりが、仕事や生活に追われながら、たった一人で背負っているのですから。
結婚や出産から社会が手を引いておきながら、結果だけを個人の責任にする——これは筋が通りません。少子化は、努力が足りないからではなく、結婚を社会の中心から個人の隅へと追いやった、構造の帰結なんですよね。
もう一度、結婚を「社会の真ん中」へ
もちろん、戦国の政略結婚に戻れと言いたいのではありません。自分で相手を選ぶ自由は、何があっても手放してはいけない宝物です。
私が申し上げたいのは、「選ぶ自由」は個人に残したまま、「支える責任」は社会に取り戻すということ。
かつて仲人や共同体が果たしていた、人と人を結ぶ働き。子育てを地域で分かち合うしくみ。若い二人が安心して家庭を築ける、経済の土台。これらを現代のかたちで設計し直すことは、まぎれもなく政治と社会の仕事です。
そして一人ひとりにできることもあります。それは、目の前の人の縁を、もう一度あたたかいものとして信じること。先に与え、相手の可能性を信じて背中を押す——そんな「持てる人」のふるまいが、市場化し私事化した縁に、もう一度ぬくもりを戻していくはずです。
戦国の武将たちが命を賭けて守ろうとしたのは、結局のところ「家がつづくこと」でした。その切実さだけは、現代の私たちも、思い出していい頃なのかもしれませんね。
出典:戦国期の政略結婚に関する史実(織田・浅井/武田・北条・今川の婚姻同盟など)、厚生労働省「人口動態統計」(少子化・婚姻の動向)。