こんにちは。関口美奈子です。
「恋人がほしい」という相談はよく受けます。でも、その奥に、もっと静かで深い問題が隠れていることに気づきました。
それは——「友だちがいない」ということ。子どもの頃はあんなに簡単にできた友達が、大人になると、なぜか一人も増えていかない。私は、恋愛不全の手前で起きているこの現象を「友情の蒸発」と呼んでいます。
大人の友情は、静かに枯れている
少し残念なデータがあります。
「親しい友人がいない」と答える人の割合は、国際比較で見ると、日本がとりわけ高いことが知られています(OECDの調査などで、たびたび指摘されてきました)。とくに男性で、その傾向が強く出ます。
仕事の知り合いはいる。家族もいる。でも、利害も役割もぬきにして、ただ会いたいから会う——そんな友だちが、ふと気づくと一人もいない。これは、けっして珍しいことではないんです。多くの大人が、口に出さないだけで、静かに同じ寂しさを抱えています。
なぜ、友情は蒸発してしまうのか
では、なぜ大人になると友情が枯れるのでしょう。
私は、友情を育てる「土壌」が失われたからだと考えています。
子どもの頃、友情は「ただ一緒にいる無目的な時間」から生まれました。同じ教室で、同じ放課後を、なんとなく過ごす。その目的のない時間の積み重ねが、友だちをつくっていたんですね。
ところが大人になると、私たちの時間はすべて目的でいっぱいになります。仕事のため、家庭のため、自分を高めるため。「なんとなく一緒にいるだけ」の時間は、無駄として真っ先に削られていく。友情は、利害でつながる関係の中では育ちません。無目的な時間という土壌が乾けば、友情は蒸発する。これが「友情の蒸発」です。
これは「性格」ではなく、社会の乾燥
ですから、友だちができないのを、自分の人見知りや愛想のなさのせいにしないでください。
長時間労働で、無目的な時間そのものが残らない。転勤や引っ越しで、関係が何度もリセットされる。すべてを効率で測る空気のなかで、「役に立たない時間」は罪悪感の対象にすらなる。
つまり、友情の蒸発は、個人の性格の問題ではなく、人がのんびり交わる余白を奪ってきた社会の“乾燥”が生んだものなんです。あなたが冷たい人間になったわけではありません。友情が育つ湿り気が、社会から失われただけなんですね。
友情の蒸発は、孤独と恋愛不全の「土台」になる
そして、ここが大事なところです。
友情の蒸発は、それ単体で終わりません。もっと大きな問題の土台になっていきます。
以前、誰にも弱音を吐けない中年男性の孤独を「沈黙する縁」と呼びました。その根っこには、たいてい、この友情の蒸発があります。
さらに、友情は、人とつながる“筋肉”を鍛える場でもあります。雑談し、心を開き、ときに衝突して仲直りする。その練習の場である友情がやせ細れば、いきなり恋愛という深い関係を結ぶのは、いっそう難しくなる。
恋人がいないことの手前に、友だちがいない問題がある。友情という土台が乾いたうえに、豊かな恋愛や家庭を建てるのは難しい。だから私は、友情の蒸発を、もっと真剣に語るべきだと思っているんです。
もう一度、「無駄な時間」を取り戻す
では、どうすればいいのでしょう。私は、二つの方向をお勧めします。
ひとつは、一人ひとりの小さな実践です。
意識して、「目的のない時間」を人と過ごすこと。用がなくても連絡する。意味を求めずに、ただ一緒にお茶を飲む。一見“無駄”なその時間こそが、友情の湿り気を取り戻します。見返りを計算せず、先に声をかけられる「持てる人」のふるまいは、友情においてこそ力を発揮します。
もうひとつは、社会の側の仕事です。
仕事でも家庭でもない、第三の居場所——気軽に人が集い、無目的に交われる場を、地域や社会のなかに取り戻していくこと。それは、孤独・孤立対策の、もっとも根っこの部分だと思います。
友だちは、子どもだけの特権ではありません。何歳になっても、無駄な時間を一緒に過ごせる相手がいることは、人生をやわらかく支えてくれます。その湿り気を、もう一度、私たちの暮らしに。
出典:「親しい友人がいない」割合の国際比較(OECDの社会指標に関する調査など)、内閣府「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査」。具体的な数値を断定する記述は避け、傾向として記述しています。