こんにちは。関口美奈子です。
寝る前、なんとなくSNSを開く。すると、友人の結婚報告、幸せそうなデートの写真、仲むつまじい家族の風景が、次々と流れてきます。そして、なぜか胸の奥がチクリと痛む——。
そんな経験、ありませんか。私たちは、他人の幸せを延々と見せられ続けることで、自分の縁を“不幸”だと錯覚させられています。私はこの仕組みを「幸福の見せ合い」と呼んでいます。
SNSは「幸福のハイライト」しか流れない
まず、思い出してほしいことがあります。
人がSNSに載せるのは、たいてい人生の“いちばんいい瞬間”だけです。
記念日のディナー、旅行先の笑顔、プロポーズの瞬間。けんかした夜も、ひとりで泣いた休日も、退屈な日常も、そこには映りません。
つまりSNSに流れているのは、その人の暮らしそのものではなく、念入りに選び、加工された“幸福のハイライト集”なんですね。なのに私たちは、それをまるで相手の日常まるごとのように受け取ってしまう。ここに、最初のすれ違いがあります。
「幸福の見せ合い」が、心をすり減らす
そして、その編集された幸福が、無数に並びます。
何百人ものハイライトだけが集められた場所——それが、私の言う「幸福の見せ合い」の会場です。
当然、そこは幸せで埋め尽くされています。それを毎日眺めていれば、人はどうなるでしょう。「みんな幸せそうなのに、自分だけ取り残されている」と感じはじめます。心理学でいう相対的な剥奪感——他人と比べて、自分は奪われていると思い込む感覚です。
本当はそれなりに満ち足りていたはずの自分の縁が、急に色あせて見えてくる。SNSは、あなたの幸福度そのものは変えないのに、幸福の“採点基準”だけを吊り上げてしまうんです。だから、見れば見るほどつらくなる。
期待値が上がり、目の前の縁が安く見える
この「採点基準の高騰」は、恋愛や婚活に、じわりと効いてきます。
以前のコラムで、関係に求めるハードルが上がり続けることを「親密さのインフレ」、選択肢が多すぎて選べなくなることを「選択の過積載」と呼びました。SNSの幸福の見せ合いは、その両方を加速させる装置です。
「もっとロマンチックな相手がいるはず」「あの人たちみたいな関係でなければ」。理想の基準が際限なく上がれば、目の前にいる現実の相手は、どうしても見劣りして見えてしまう。隣の芝が、常に青く加工されて表示され続ける——その世界で、等身大の縁を大切にするのは、本当に難しいことなんですよね。
これは「心が弱い」のではなく、そう作られている
ですから、SNSを見て落ち込む自分を、心が弱いとか、嫉妬深いとか、責めないでください。
そもそもSNSは、あなたが快適でいることより、長く見続けてもらうことで成り立っています。心を揺さぶる投稿、比べたくなる情報ほど、人は目を離せなくなる。つまり、比較して一喜一憂してしまうのは、あなたの性格の欠点ではなく、そうやって人を惹きつけ続けるよう設計された仕組みの中にいるから、という面が大きいんです。落ち込むあなたは、むしろ設計どおりに反応させられている、とも言えます。
比較の会場から、半歩だけ出る
では、どうすればいいのでしょう。私は、二つの方向をお勧めします。
ひとつは、一人ひとりの工夫です。
SNSと、少しだけ距離を取ること。見る時間を区切る、つらくなるアカウントはそっとミュートする。そして思い出してほしいんです。あなたが比べているのは、相手の“本当の人生”ではなく、編集後のハイライトだけだということを。
あなたの縁には、写真には写らない、あなただけが知っている温かさがあります。他人の採点基準ではなく、自分の物差しで、その固有の価値を見つめ直す。比べることをやめて、目の前の人へ先に与えられる「持てる人」のまなざしこそ、幸福の見せ合いから自由になる鍵です。
もうひとつは、社会の側の問いです。人の比較心を煽ることで成り立つプラットフォームと、私たちはどう付き合っていくのか。その設計や使い方を、社会全体で考えていくことも、これからの大切なテーマだと思います。
幸せは、見せ合って競うものではありません。静かに、自分の手の中で確かめるもの。その当たり前を、ときどき画面を閉じて、思い出していきたいですよね。
出典:SNS利用と幸福感・自己肯定感・相対的剥奪感の関連に関する社会心理学の各種研究を参照。具体的な数値を断定する記述は避け、傾向として記述しています。