「運命の人」は
本当にいるのか

関口美奈子

こんにちは。関口美奈子です。
「どこかに、私の運命の人がいるはず」。そう信じて、出会いを探し続けている方は多いと思います。
でも、ひとつだけお伝えしたいことがあります。じつは、「運命の人」を探している人ほど、いつまでも結ばれにくいのです。なぜなら、運命とは出会うものではなく、二人で“育てる”ものだから。今日は、その意外な真実をお話ししますね。

「運命の人」という考えは、わりと新しい

まず、意外な事実から。
「たった一人の運命の相手と、恋に落ちて結ばれる」——この考え方は、人類がずっと信じてきた普遍の真理ではありません。

以前のコラムでお話ししたように、長いあいだ結婚は、家と家を結ぶ実利的な縁組みでした。恋愛感情と結婚が固く結びつき、「運命の人と愛し合って結婚する」のが理想とされるようになったのは、近代に広まった比較的新しい価値観なんですね。映画や物語が繰り返し描いてきた、いわばロマンチックな“筋書き”。私たちは知らないうちに、その筋書きを「当たり前」として刷り込まれているんです。

「運命の人」幻想が、恋愛を遠ざける

この筋書きは、甘くて素敵です。でも、現実の恋愛では、しばしば人を苦しめます。理由は三つあります。

ひとつめ。理想のハードルが上がりすぎて、目の前の縁を見逃す。「運命なら、ビビッとくるはず」と完璧な相手を待つうちに、本当は相性のいい人を、何でもないように見送ってしまう。
ふたつめ。うまくいかないと「運命じゃなかった」と諦める。関係に小さな問題が起きただけで、「この人は運命の人ではなかったんだ」と相手を取り替えてしまう。
みっつめ。努力しなくなる。「運命の人となら、自然とうまくいくはず」と思い込むと、関係を育てる手間を惜しんでしまうんですね。運命の人を信じるほど、恋が続かなくなる。皮肉な話です。

心理学が示す、「運命」より「成長」

これは、私の経験則だけの話ではありません。心理学の研究でも、似たことが示されています。

恋愛には、二つの考え方があります。ひとつは「相性は運命で最初から決まっている」とする運命の信念。もうひとつは「関係は二人で育てていくものだ」とする成長の信念です。
研究によれば、運命を信じる人は、はじめは情熱的でも、問題が起きるともろく、関係が壊れやすい。一方、成長を信じる人は、困難を乗り越えながら関係を深めていき、長続きし、満足度も高い傾向があるのです。つまり、幸せな恋を育てるのは、「運命を探す力」ではなく、「関係を育てる姿勢」のほうなんですね。

運命は、探すものではなく「育てる」もの

ですから、私はこう考えています。
運命の人とは、出会った瞬間に決まっているのではなく、二人で時間をかけて育てた結果、“あとから”そうなっていくものだ、と。

最初は、ただのご縁です。完璧でもないし、ビビッともこないかもしれない。けれど、お互いを知り、ぶつかり、許し合い、支え合っていく。その積み重ねの果てに、「ああ、この人は私の運命の人だったんだ」と、振り返って思える。運命とは、出会いの形ではなく、関係の“到達点”なんですね。
先に与え、相手の欠点ごと受け止め、一緒に育っていける——そんな「持てる人」の姿勢を持つ人のところにこそ、結果として運命は実っていきます。

「運命待ち」を、今日でやめる

では、どうすればいいのでしょう。答えはシンプルです。
運命の人が現れるのを待つのを、今日でやめること。

「この人で合っているだろうか」と相手を採点する代わりに、「この人と、どんな関係を育てられるだろう」と考えてみる。完璧な誰かを探す旅を下りて、目の前のご縁を、自分の手で育ててみる。そのとき初めて、恋愛は“運任せ”から“自分の手の中のもの”に変わります。
運命の人は、世界のどこかであなたを待っているのではありません。あなたがこれから、誰かと一緒に育てていくものなんです。その第一歩を、どうか怖がらずに踏み出してくださいね。

出典:ロマンチックラブと近代結婚観に関する家族社会学の知見、対人関係における信念(運命的信念と成長的信念)に関する社会心理学の研究を参照。具体的な数値を断定する記述は避け、傾向として記述しています。

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