こんにちは。恋愛心理研究家の関口美奈子です。
先に断っておきます。AIやアプリが「あなたに最適な相手」を選ぶことの是非は、別の日にAIが婚活相手を選ぶ時代で書きました。今日はその一歩手前、「そもそも偶然が消えた」という話です。
「運命的な出会いが減った」とよく言われます。でも、私はこう見ています。減ったのは運命ではありません。「偶然」そのものが、社会から絶滅しかけている。予想もしない相手と、予想もしない場所でばったり——あの偶然が、いつのまにか私たちの暮らしから、静かに姿を消しつつあるんです。出会いの数は、歴史上いちばん多いはずなのに、なぜ「いい人がいない」という声はこれほど大きいのか。今日は、その「偶然の絶滅」という現象を、あなたの魅力や努力が足りないという話ではなく、社会の構造そのものの側から、じっくり見ていきます。
運命が減ったのではない、「偶然」が絶滅している
まず、逆説から。多くの人が「良い出会いがない」と嘆きます。でも、出会いの数は、歴史上いちばん多いはずです。アプリを開けば、何百人ものプロフィールが並ぶ。数だけなら、かつてないほど豊かなんです。
それなのに、なぜ枯渇感があるのか。答えは、出会いが増えた代わりに「偶然」が消えたからです。並んでいる何百人は、あなたの条件や行動履歴に合わせて、システムが選び、順番に並べたもの。予想外の顔ぶれではありません。私はこの現象を「偶然の絶滅」と呼んでいます。会う人の数は増えたのに、「思いがけない相手と、思いがけず出会う」という体験だけが、絶滅危惧種になった。恋愛の枯渇感の正体は、相手不足ではなく、偶然の不足なんです。
偶然が大切なのには、理由があります。予想外の相手は、あなたの想像力の限界を、軽々と超えてくるから。人が「こういう人と結ばれるはず」と頭で描く理想は、たいてい過去の経験の焼き直しで、案外せまい。ところが偶然の出会いは、その狭い枠の外側から、思いもよらない人を連れてきます。「この人だとは思わなかった」——そう言える結婚が、どれほど多いか。偶然とは、自分の想像力を外注する装置でもあったんです。
アルゴリズムは、縁を「配給」する
なぜ偶然が消えたのか。中心にあるのは、アルゴリズムが縁を「配給」するようになったという構造変化です。
かつて出会いは、制御できないものでした。たまたま同じ電車、たまたま隣の席、たまたま紹介された人。誰も設計していないからこそ、自分の想定を超える相手と結ばれることがあった。ところが今は、あなたの好み・スワイプの癖・過去の選択を学習したシステムが、「あなたが気に入りそうな相手」を先回りして配給します。効率的です。ミスマッチは減ります。でも同時に、「自分では選ばなかったはずの相手」が、視界にすら入らなくなる。配給された縁は、あなたの既存の好みの、鏡像です。過去の自分が好きだったタイプが、延々と差し出される。運命の人とは本来、想定の外側からやってくるもの。けれど配給制のもとでは、想定の外側そのものが、供給されなくなるのです。
「好みの檻」──最適化が、自分を過去に閉じ込める
ここに、もう一つの罠があります。配給された相手ばかりに会っていると、人はいつのまにか「過去の自分の好み」に閉じ込められていく。私はこれを「好みの檻」と呼んでいます。
本来、人の好みは、予想外の出会いによって更新されるものです。「こんな人、タイプじゃないと思っていたのに」——そうやって、偶然が自分の枠を広げてくれた。ところが最適化されたシステムは、あなたが過去に反応したパターンを強化する方向にしか働きません。タイプじゃないと登録した属性は、二度と表示されない。こうして、選択肢が広がっているように見えて、実は好みの檻がどんどん狭く、高くなっていく。「ピンとくる人がいない」という感覚は、あなたの理想が高いからではなく、システムが「昨日までのあなた」を延々と再生産しているからかもしれません。マッチングアプリ疲れの正体の一つも、この閉塞感にあります。
皮肉なのは、檻の中にいる本人には、それが檻だと気づけないことです。毎日たくさんの候補が表示され、自由に選んでいる感覚がある。だから「選択肢はいくらでもあるのに、いい人がいない」と、相手のせいにしてしまう。でも本当は、表示される候補そのものが、あなたの過去の好みで濾過された後の水なんです。濾過された水をいくら眺めても、濾し取られた成分には出会えない。豊かに見える選択肢の裏で、あなたを驚かせてくれたはずの人が、静かに間引かれ続けています。
あなたの努力不足ではなく、偶然を失った社会の問題
だから、これははっきり言わせてください。あなたに良い出会いがないのは、行動が足りないからでも、魅力が足りないからでもありません。社会が、偶然を生み出す「余白」を効率化で塗りつぶしてきた——その構造の帰結です。
地域の寄り合い、職場の飲み会、近所づきあい、見合いを世話する親戚。かつて偶然を運んでいた無数の非効率な接点が、合理化の名のもとに次々と姿を消しました。残ったのは、最適化された画面の中の配給だけ。偶然は、放っておくと生まれるものではなく、社会が「無駄」や「余白」を許すことで、はじめて宿るものだったんです。少子化や未婚化を「若者の意欲の問題」に還元してしまうと、この構造が見えなくなります。意欲は、ある。ただ、意欲が花開くための偶然の土壌が、社会から失われた。個人の問題ではなく、私たちが暮らしから偶然を追い出してきた、その代償なんです。
まとめ:偶然は、暮らしに取り戻せる
運命的な出会いが減ったのではありません。減ったのは「偶然」そのもので、社会から絶滅しかけています。アルゴリズムが縁を配給するほど、想定外の相手は視界から消え、私たちは「好みの檻」に閉じ込められていく。そしてその原因は個人の努力ではなく、社会が偶然を生む余白を効率化で塗りつぶしてきた構造にあります。
ただ、絶望する話ではありません。偶然は、意識すれば暮らしに取り戻せます。いつもと違う道を歩く。条件で人を絞りきらない。効率の悪い集まりに、あえて顔を出す。アプリを使うなら、システムが配給する「昨日までの自分の好み」を、ときどき意図的に裏切ってみる。持てる人は、縁を効率で刈り取ろうとしません。人生に少しの余白と無駄を許し、そこに偶然が舞い込む隙間を、いつも空けています。最適化された時代にあえて偶然を招き入れる余裕——それこそが、これからの縁を分けていくのだと思います。